2021-12-24 19:00:33
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コメント(5)
漫画雑誌に、たまに新人賞の結果と寸評が載るでしょう。
高校生の頃、その中で印象的なものがありました。
高校サッカーの漫画で、結果は佳作でした。
で、編集者の寸評が「よくまとまっていますが、画力も含め、決め手に欠けます。そろそろ慎重に将来を考えられては。あなたも、粗削りがもう褒め言葉にならない年齢であることは自覚されていることと思います」。
胸がズキッとなりました。
後日、その作品が雑誌増刊号に載ったので、買って読んでみました。
(当時はネット普及前で、漫画は紙媒体だけでした。なお、特選・入選は本誌掲載。)
主人公は高3の少年。
ずっとサッカー部は補欠。でも、練習熱心で、雑用も率先して引き受ける人格者で、皆から慕われています。
ある日、少年は、試合に初めて途中出場させてもらえます。
大勢の観客と、公式戦の高揚感。「知らなかった。これが試合の興奮と緊張か!」。
が、ボールにはほとんどさわれず、無情にも5分で試合終了のホイッスル。「ふざけるな、もっとやらせろよ!」。試合は負け。これで引退です。
「お疲れさまでした」と、複雑な表情で見送る後輩たち。練習相手になってもらったり、後輩なのに掃除や洗濯などを代わってもらったり、恩義のある者ばかりです。
「もう終わりか。体はこんなに熱いのにな」と、ロッカールームへ去る少年の背中で幕切れ。
確かに、地味な絵柄で、驚くような面白さまでは感じませんでした。
ただ、何だか作者の人生と妙に重なって、そのことが切なかったです。
「たった5分の公式戦」と「増刊号限りの掲載」とがダブって見えてしまった。
「粗削りがもう褒め言葉にならない年齢」。
何と残酷で、かつ思い遣りに満ちた表現か。
編集者もプロとして、きっとギリギリで考えたコメントだったのでしょう。
もはや、作者名もタイトルも分からないけれど、あの漫画家はデビューできたのかなあ、今も描いていらっしゃるのかなあと、時々思うことがあります。
そして、ふと手元を見れば、私にも、もう粗削りだねとは褒めてもらえない中途半端な能力が幾つかあって、「でも、こういうのを生きがいとか呼ぶのだろうな」とも思って、たまに一人で苦笑いをしています。
メリークリスマス。
皆様からのコメントをお読みし、自分の記事をもう一度読み返しまして、「うーん、言われてみれば、確かにこれ、ちょっと出来過ぎた話だなあ」と気付かされました。
これを完全な偶然の一致とみなすのは、ピュア過ぎるかもしれませんね。水面下で、大人同士、話は付いていた可能性もありますね。
(まあ、読んだのは20年も前の学生時代ですから、多少の美化や甘さは御容赦くだされば。)
菖蒲田山椒様
粗削りに年齢差はない、は確かにそうですね。
たとえ高齢でも、初挑戦で「おっ、ちょっと指導・修正すればヒットするなあ」と思われたら、みすみす手放すような真似はしませんよね。
イラスト、お褒めいただきうれしいです。
厠達三様
私も、いきなりこんな寸評を書かれたら泣いちゃうでしょうね。「今まで、言いたくてもずっと我慢してたんだろうなあ」というのが見えてしまうだけに、なおさら余計に。
でも、おっしゃるような個人的な信頼関係がこのお二人にあったのならば、救いはありますよね。
塩谷文庫歌様
確かに、紙媒体のみだったからこそ、編集者(会社)はよりシビアに、お金の流れを計算されていたのでしょうね。
あの当時は単行本が一つのゴールでしたし、アマチュアが何となく広く浅く食っていかれる環境は、なかったのかもしれません。
雲月様
おっしゃるとおり、既に担当編集者が付いた上で、改めて新人賞へ応募する例も多いらしいですから(私は最近知りました。漫画家のドキュメンタリーなども増えてますしね)、「あなたの長年の努力自体は素晴らしいから、最後に一回だけ載せてあげるね」みたいな話だったのかもしれないですね。